夢脳のまなざし

いい男が好きすぎて現実では足りず歴史さえもよこしまなまなざしで見てしまっています。旅行が好きです。(http://nanos.jp/minamooon/)

【歴史創作 】小十郎と千子様とか

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どうだろう。
千子姫は伊達藤次郎政宗の妹で、父輝宗と正室母義姫の娘であったらしい。輝宗パパン義姫ママンの二人の娘できちんと名前が伝わる唯一の人ながら、早世してしまったらしく いつ生まれたのかよく分からない。
もう一人の「女子」こと姫も早くに彼岸を渡られたのだろうか。

千子姫はお名前がきちんと残っていることから、十代半ば、嫁ぐ直前くらいまでは存命だったのかな?
政宗と小次郎の間くらいで、年子とかにしちゃって、兄の初陣~輝宗パパン死亡までほ間に思春期 嫁取りを過ごす最中に、鬼籍に入る。とかだとドラマチック(全て妄想)

そもそも「千子」は「せんこ」なのか。刀みたいな名前。
「子」がつく名前は上方とかの高貴なイメージでもあるから、初めての女の子に義姫も輝宗も喜んでいたのかな。
(「千」で称号としての子なのか、よくあるやつ)

しかし、中国史もそうだが、日本史は本当に女性の名前がわからない。
その人生も思考も見えてこない。
だからこそ創作にしやすいのですが……

という訳で、千子さまを使わせて頂いて
転生とかで小十郎に「姫」と言わせたいだけの歴史創作を作りたい…。
二十代の心と、ミドルティーンの身体をもて余して、小十郎に甘えたり当たり散らしたり…。
小十郎は歴史でも、二次創作 ゲームでも忠義と趣味の両立をしている何だかんだ図太い性格であると見ている(キモオタの見解)ので
困った顔をしながら「やっぱりこういう気性が若君や北の方にそっくりですね~」位に心中に余裕があると…
萌えます。

そう!小十郎と言えばご実家がよく分からない!!!

「米沢八幡宮」とされていますが、そんな八幡さまは無い…
色々は本やインターネットを眺めていて
成島八幡宮さまと安久津八幡宮さまという大きな神社が上げられていました。
でも、そんなところの宮司(これも 景重パパが宮司じゃなくて一神職であるとかいう説が)の次男なら 別に藤田家に養子に出されずに
神職としていてもお家は助かるんじゃないの?
と……、で、山形の新聞に「片倉景綱生誕の地」みたいな記事があるとインターネットの荒波から発見…

【川西町内の青年たちが伊達政宗に仕えた片倉景綱(通称・片倉小十郎)と町との関係について研究している。
同町上小松の東塩ノ沢地区の置賜四所神社近くには、片倉氏が居住したとされる「片倉舘跡」があることから、父・景重が神職を務めたとされる「米沢八幡」が同地区にあったとする新説を提唱。】

ほうほう。

【伊達家の領置分配の記録「采地(さいち)下賜録」の中で景綱の祖父・景時に小松地区を与えたとする記述を発見。居住した場所が片倉舘で、片倉家の記録「片倉代々記」などから景重が継いだことが分かった。さらに地元・諏訪神社で継承されている、1700年代中期に描かれた東塩ノ沢地区の絵図(昭和21年に複写)の中で、片倉舘近くに記された「八幡宮」を確認。
八幡宮の文字の脇には「片倉前社」と書かれていた。
絵図を参考に現地を探索したところ、平らにならされた地面と、取り囲むように木々が並ぶ林を見つけた。
 景重が片倉舘に住んでいたとすれば、成島、安久津両八幡神社までは距離があり、グループは「断定はできないが景重は絵図にある八幡宮神職だったのでは」と推測する。】

おお…!

現代までバシッと名前が残るような神社なら ばっちり家系図?神官名に「片倉」が残っていると思うんですよ。(候補のひとつ成島八幡宮には「片倉」という神官はいなかったとか。)

だとすると安久津八幡宮の方なのかな。

でも個人的には(出た)
小さな八幡宮さまの神官の次男、色々あって小姓に、そして伊達政宗のブレーンに…が自然で 頑張る気持ちも理解できて
そして萌えます。

小十郎のご実家は、祖父の代から伊達家に仕えていた武将であったとする記録もあるので
神官と兼業する武士でもあったのかもしれないですね。
と、すると根っからの神職の次男が 武家の養子になるのも 小姓になってからも 教養を発揮しつつも 「家格は高くないよな」
って、陰口に耐えられず出奔…も納得が行きますね。

という訳で、私の心の中の小十郎は山形の「小さな八幡宮」の次男。
にしておきます。

千子姫の話から大分逸れてしまいました…。